ゆとり世代が哲学する「おしゃれってなんだろう」

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「自分らしくありたい」「みんなと一緒じゃ嫌だ」ゆとり世代が常に求めるのはオリジナリティー。

その矛先はまず彼らのファッションに向いているように思えます。ファッションは、言葉よりも早く私自身について語ります。しかし、よくよく大学のキャンパスを覗いてみると、目に飛び込んでくるのは似たり寄ったりのファッションに身を包んでいる姿。

「人の歴史とは衣服の歴史だ」と夏目漱石も『吾輩は猫である』の中で言っているように、ファッションからゆとり世代の特徴が見えてくるかもしれません。

今回のテーマは「おしゃれ」。ゆとり世代にとって「おしゃれ」とはどんな存在なのか考えていきます。

ファッションは「自分のキャラクター」を伝える手段

外見からその人のすべてが見えてくるわけではありませんが、大まかなプロファイルはできそうです。

例えば、V系ファッションに身を包んでいれば、パンクロックが好きなのかな、と。その程度のプロファイルですが、なんとなくその人を知る手掛かりにはなりそうなのがファッションです。

しかし最近は、似たような服を着ている人があまりにも増えすぎて、その人の「好き」が見えてこない傾向があります。

都内の大学に通うJさんは、自身の洋服選びの仕方について語ってくれました。

▽「かわいいなぁって思ったものを買っていますね。当たり前ですけど。あとはファッション雑誌を見たり、街を歩いていたりして、こういう服いいなぁって思ったりしたのも買ったりしていますね」

ーーファッションで自分らしさを表したいとは思うのでしょうか?

▽「まぁそれは、ないよりもあった方がいいですけど。でもそれってその人のキャラクターによりませんか?元気な子はカジュアルな服を着ているし、おとなしい子は大人っぽい服を着ているし。そういう自分がどう見られているかっていうのと、自分がかわいいと思うもののバランスを取って服を選んだりしていますよ」

誰のためのファッション?

ファッションは自分らしさだけでなく、「自分がどう見られているか」を映した姿のようですね。「誰かに見られている」「誰かの期待に応える」という視線の中で、彼らの自分らしさは表現されることはあるのでしょうか。

流行によって、人の格好は似てくるもの。ですが、今はあまりにも似すぎていないでしょうか?

もしかしたら、与えられたキャラクターよりも、「誰かにこう見られたい」という自分の理想像を流行と重ね合わせ、結果としてステレオタイプなファッションが増えているのかもしれません。

世界的なファッションデザイナーの川久保玲さんは「本人の中身が新しければ、着ているものも新しく見える。ファッションとは、それを着ている人の中身も含めたもの」と言っています。

流行とは、その時々によって生み出される「他人からよく見られる」像です。だからこそ、それに乗ることは、手っ取り早く自分自身を「他人からよく見られる」存在にしたてあげてくれます。

ですが、どんなに同じ格好をしていても、絶対的な違いが私と他者の間には横たわっているはずです。

この絶対的な違いを流行によって押しつぶしてしまうのではなく、見極めて研ぎ澄まして、自分なりのスタイルを作っていく、それがおしゃれなのかもしれません。

誰かと同じではなく、小さな違いから自分らしさを作っていく、そんなおしゃれを楽しみたいですね。

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